人生の年表

《幼少期》

最初の記憶は4歳か5歳頃。

弟が剣のおもちゃを持ってて『貸して』って言ったら『あとでね』って言われた。

今すぐ遊びたかったあたし。まだ遊びたい弟。

 

10分ほど経って『お姉ちゃん、貸してあげる』って弟が言った。

でももう遊ぶ気がなくなったあたしは『もういい』って言った。

 

そしたら母親がブチギレて、あたしのことを引きずり回し裸足のまま外に追い出し鍵を閉めた、というのが最初の記憶。

 

そこから小学校2年生頃まで怒られてるか、はつかれてるかしか記憶が無い。多分それらの出来事が印象的すぎて他のことを思い出せないんだと思う。

 

《小学校1年生》

夜9時ぐらい。お絵描きをしたあと寝ようとした。

筆箱を持って寝室に行こうとすると母親が『お前これは?』と言ってあたしの背中に鉛筆を投げた。

 

それを見た父親が母親にブチギレ。

六畳の部屋で母親を蹴り飛ばしまくってるのを目の前で見た。

今考えればあの時、父親はあたしを庇いたかったんだろうなと思うけどその時はよく分からなくてただ母親を蹴り飛ばしてるだけだと思ってた。

当時幼稚園児の弟も、1年生のあたしも、母親もギャン泣き。そのとき父親が何してたかは覚えてない。

このことを2年ほど前に一度弟と話したけど、あまりに辛そうな顔をしたのでもう二度と話すことはないと思う。忘れたいね、お互い。

 

これは最近知ったことだけど、この件があって母親は父親と少し距離を置くようになったらしい。

 

《〜小学校卒業》

幼稚園の頃から水泳を7年続けた。

でも最後の方は全然タイムが縮まらなくて早く辞めたいと思っていた。

小学校卒業のタイミングで水泳を辞めた。

 

学校生活はそれなりに成績もよく、学級委員とかも何回かした。

親と担任は中学受験をさせるか悩むほどだったらしい。

本当にしなくてよかった。

 

小5と小6は担任が一緒だった。

『思ってることはちゃんと言え』という先生だったので気に食わないことがあれば逆らってた。今考えると本当にお子ちゃまだけど当時はそれが正しいと思ってた。

そんな担任はあたしのことを『曲がったことが大嫌いで本当に素直な子』だと親に話していた。

 

そこそこいい子ちゃんのまま小学校を卒業。

 

《中学校》

所謂厨二病で悪いことがかっこいいことだと思っていた。

色んな人と色んな理由、方法でケンカしたし怖いものなんて何も無かった。

 

中1のとき、三者面談で『提出物何も出してないです』って担任が言った瞬間、母親に蹴り飛ばされた。教室で。担任がいる目の前で。

その次の日、当時の彼氏と一緒に市内で家出した。すぐに見つかってしまったけどその後別に怒られなかったから『あ、これでいいのか』としばらく家出癖がついた。

処女卒業もこの頃だったと思う。

早い方だとは思うけど好きな人とだったしいいかな、と今でも思う。

 

中2で170cmの女に脚を蹴られるなどした。腹が立ったから追いかけ回した。あいつめちゃくちゃ足速くて追いつけなかったけど。

この頃めちゃくちゃな男と付き合ってたけどこれはまた書こうと思うから今回は割愛する。

 

そして中3になりたてぐらいのときに喫煙がバレ、そのままハブられ部活を辞めた。

地元の治安は悪くないし中学生で喫煙してる子なんてまずいなかったからハブられたのだろう、と思う。

もしこの理由が違ったとしても完全にあたしが悪い。最悪だ。

部活は吹奏楽でホルンを吹いていた。

毎年誕生日がコンクールと被っててそれはちょっと嫌だったけど辞めたのに関係はない。

 

それと同時期、学校に行きたくなくなって朝めちゃくちゃゴネてたら父親に、あたしが『学校行く』と言うまでブン殴られた。

あれは本当に痛かった。ブン殴られるし蹴られるし投げられるしで滅茶苦茶だった。

 

色々あったけど義務教育だし当たり前に中学を卒業した。

 

《高校生》

中学の頃ほとんど勉強してなかったせいで公立の高校はしっかり落ちて私立高校に行った。

あたしは別に中卒でもよかったけど親が絶対に高校は行けと言うので渋々だ。

 

とにかく高1の一学期にめちゃくちゃいじめられた。

あたしが周りを見下しすぎてそれが見透かされてたからだと思う。

結局、高校に入ってまでイジメをする奴らなんて馬鹿だから見下してて正解だったんだけど。

 

二学期になるといじめられてたのが嘘かのように友達ができた。

『なんで?』としか思わなかった。

 

そのまま高校3年生まで順調に進級できたし友達もどんどん増えた。

最後の文化祭では体育館のステージで1人で歌を披露した。

とんでもない人数が見に来てくれてあたしはあのとき本当に幸せ者だったと思う。

 

そしてこの年の秋に仲のいい友達を自殺で亡くした。

立ち直れなくてあまり学校に行かなくなった。

もう卒業は確定してるしいいやと思った。

まだ引きずってる。

 

いじめられたのち、トンデモ陽キャになったあたしはそのトンデモ陽キャのまま高校を卒業。

 

《大学1年生》

大学は学費が安くてやりたいことを学べるところを選んだ。

高校が普通科だったから進学以外の選択肢はあたしの中になかった。

 

ずっとオンライン授業で友達ができなさすぎた。

できても一緒に授業を受けれなくて寂しかった。

 

あたしはその『寂しい』という理由だけで自殺することを決めた。

場所も絶対死ねるだろという場所を市内に見つけ、バイト終わりそのまま死ぬつもりでいた。

そしたら何を察したか当時の彼氏がその場所まで来た。なんで場所が分かったのかは別れた今でも聞いたことがない。

飛び降りる一歩手前のところで手を掴まれた。

あのとき手を振りほどいて死ねなかったあたしは本当に負け組だと思う。

そして最悪なことに生き長らえる。

 

自殺失敗直後、タトゥーを入れる。

 

《大学2年生(現在)》

未だにずっとオンライン授業で、もうほぼ授業を受けてない。

留年一歩手前、というかほぼ確定。もうどうでもいい。

1年生のときにきたとんでもなくデカくて長い鬱で全てどうでもよくなってしまった。

夢もないしこのまま風俗嬢していくのかな、とぼんやり思っている。それだけは避けたいけど。

 

でも大学生活以外で言えばTwitterを始めたし遊んでくれる人も増えてとても充実している。

大事な彼氏もできたし上手くいけばいいなと心底思う。

 

《おわりに》

 

なんかずっと怒られていたり、そこから来てるのかは分からないけど小5の頃から希死念慮に悩まされて生きてきた。

でもどの瞬間でも守るものがあったり、守りたいと思える人がいたんだと思う。

じゃないと生きてこれていないはず。

 

でも自殺未遂したときは、彼氏がいたけどその彼氏も浮気しまくってたからどうでもよかったに近い。だから死のうと思った。

 

今は腰に入れたタトゥーと、ほんの数日前に付き合い始めた彼氏を大事にしたいという理由で生きている。

 

何度も死にたいと思ったしこれからも何回だって思うんだろうけど、死にたいと思うたびに守りたいものや人を与えてもらえてるだけあたしの人生まだマシだなと思う。

 

これからも自分のためではなく『守りたいものや人』のために生きていこうと思う。

 

これはあたしの人生。

だけど、あたしの生きる理由はいつでもあたし以外だ。

ずっと考えてること

あたしはこの小さな脳みそで、生きていく上で必要のないことばかりを考えている。

特に『生きる理由』だとか『愛されない理由』だとか、考えたところで答えなんてないだろ、ということばかり考えて生きている。

 

まずは『生きる理由』

あたしは『自分ウケが大事っしょ‼️』とか言いつつも『他人からの評価』が自分自身の価値だと思っている。

つまり『他人からの評価=自分ウケ』という、なんとも他人任せで本当に最悪の状態だ。

 

他人から悪いように言われたらあたしは本当にダメな人間なんだと思ってしまうし、逆に少し褒められただけであたしは完璧な人間なのかも、とも思ってしまう。

 

『自分ウケ』する要素を『他人からの評価』に全振りしたせいで『自分ウケ』の本当の意味を見失ってしまったあたしにとって、せめて生きる理由だけでも『決して揺るがない何か』であってほしいと心のどこかで願っているのだろう。

 

他人からの評価はその日のコンディションや、評価する人によって変わってしまうけど、自分で決して揺らぐことのない『生きる理由』を見つけることさえできれば、今は重荷に感じている多くのことをモチベーションに変えられるかもしれないと思ったのだ。

 

そしてあたしは『生きる理由』を探してみた。

でもやっぱり思い浮かぶのは自分よりも他人のことばかりでどうしようもない。

それでもとんでもない時間をかけて探してみた。

でも結局、『人に必要とされることが生きる意味だ‼️』という、またなんとも他人任せな答えに辿り着いてしまった。

この答えに辿り着いたのは少し前のことだが、あたしは常に人に必要とされていたいと思うほど、自分のことを自分で認めることが出来ない、寂しい人間なのだなと思うと涙が出てきたのを覚えている。

 

ここでもう一つの考えていること、『愛されない理由』に入っていく。

『愛されない理由』と言っているが正しくは『愛に鈍感な理由』かもしれない。

なぜなら、どう考えてもあたしは一切愛されていない訳ではないからだ。

恋人がいないので家族友達に限定されてしまうが、あたしは十二分に愛されている。

 

母が言う『今日ご飯は?』もそうだし

『ちゃんと大学の授業受けよ』もそうだ。

ほっといてくれよと思うこともあったが、これは大きな愛なのかも、と気付いたときからそんなことは思わなくなった。寧ろ言われるのが嬉しくなったまである。

 

あとは友達が言ってくれる

『辛いことがあったら言ってね』

『また遊びにきてね』

他にもたくさんあるがこれらの言葉もあたしの大好きな言葉だ。

文字も打てないほど泣いてしまって、どうすればいいのか分からず急にかけた電話にすぐ出てくれる、とかもすごく大好き。

 

どう考えても愛されているあたし、何故満足できないのか。

これだけはどれだけ考えても全く分からない。

何故こんなにも寂しいのか、何故こんなにも愛情に飢えているのか。

ずっと考えているが本当に分からない。

 

多少問題はあるものの特別家庭環境が悪い訳でもない、今までの恋愛だって、いくつかのトラウマを抱えてはいるがそこまで酷いものではないと思っている。

 

なのに愛に気付けない。気付けてもどこか物足りなくてずっと寂しい。あたしの寂しさはどうすれば埋まるのか。

ずっとずっと心の奥底には『寂しい』という感情があって、誰と居てもどこに居ても何をしていても少し寂しい。

 

あたしはこの『少しの寂しさ』を埋めたい。

『少しの寂しさ』を埋めることさえできたなら、あたしは希死念慮に悩まされしんどい中でも人からの愛をたっくさん感じつつ生きていくことができる。

次は『少しの寂しさ』を埋める方法を考えて、答えが出るなり出ないなり、何かしらの進展があればまた書く。

 

ここまで読んでくれてありがとう。こんなに長いのに最後まで読んでくれる、これも大きな愛なのかもしれないね。本当にありがとう。

毎回急に終わってしまってごめん。本当に文が下手。

あたし自身のことについて

あたしはもうすぐ20歳になる、留年一歩手前ということを除いてはごく普通の大学生。

 

授業の合間に最低賃金でのバイトとデリヘル嬢をしている。

 

デリヘル嬢をしている理由としては『整形がしたいから』以外の何でもない。

あたしはずっと自分の顔面に悩まされてきたのだ。

 

今日はこのことについて書こうと思う。

 

『類は友を呼ぶ』と言うが、この言葉がアテにならないほど、不細工なあたしの周りには可愛い子がたくさんいる。

彼氏が絶えない子、街を歩けばナンパされる子、援交すれば1回5万円貰える子。

例を挙げるとキリがないほど、可愛い子が多い。

 

そんな中あたしは4000円で体を売ってた時期もあったし、合コンのような場に行ってもまるで相手にされない。

ただ、『面白い子』だけで終わってしまうのだ。

『面白い』と言われることも、あたしは生粋の関西人だから嬉しいがちょっと違う。

あたしは『可愛くて面白い子』になりたいのだ。

 

まぁこんなことを言っているが、周りに可愛い子が多いということは、あたしも見れないほどのブスではないのだろうと思っている。

しかし、『可愛い』と言うには惜しいのだろう。

 

可愛い子の横に並べば比べられ、どこか蔑ろな扱いをされる。これは仕方の無いことだ。

だからあたしは可愛い子に引けを取らないぐらい可愛くなりたいのだ。

 

その為にあたしは毎週金曜と土曜、夜のホテル街で体を売っている。

一定数、変な客もいるがあたしは客と過ごす60分なり90分なり、場合によってはそれ以上の時間、『源氏名ちゃん』を演じていると思っている。

だからそんなに苦ではない。

どんなにしんどくても日払いで渡されるお給料を見ると元気になる。

 

終わり方が分からなくて急に終わってしまうが、あたしがどんな人間でどんな思考の元どんなことをしているか、読んでくれてありがとう。

また気が向いたら書こうと思う。