ずっと考えてること
あたしはこの小さな脳みそで、生きていく上で必要のないことばかりを考えている。
特に『生きる理由』だとか『愛されない理由』だとか、考えたところで答えなんてないだろ、ということばかり考えて生きている。
まずは『生きる理由』
あたしは『自分ウケが大事っしょ‼️』とか言いつつも『他人からの評価』が自分自身の価値だと思っている。
つまり『他人からの評価=自分ウケ』という、なんとも他人任せで本当に最悪の状態だ。
他人から悪いように言われたらあたしは本当にダメな人間なんだと思ってしまうし、逆に少し褒められただけであたしは完璧な人間なのかも、とも思ってしまう。
『自分ウケ』する要素を『他人からの評価』に全振りしたせいで『自分ウケ』の本当の意味を見失ってしまったあたしにとって、せめて生きる理由だけでも『決して揺るがない何か』であってほしいと心のどこかで願っているのだろう。
他人からの評価はその日のコンディションや、評価する人によって変わってしまうけど、自分で決して揺らぐことのない『生きる理由』を見つけることさえできれば、今は重荷に感じている多くのことをモチベーションに変えられるかもしれないと思ったのだ。
そしてあたしは『生きる理由』を探してみた。
でもやっぱり思い浮かぶのは自分よりも他人のことばかりでどうしようもない。
それでもとんでもない時間をかけて探してみた。
でも結局、『人に必要とされることが生きる意味だ‼️』という、またなんとも他人任せな答えに辿り着いてしまった。
この答えに辿り着いたのは少し前のことだが、あたしは常に人に必要とされていたいと思うほど、自分のことを自分で認めることが出来ない、寂しい人間なのだなと思うと涙が出てきたのを覚えている。
ここでもう一つの考えていること、『愛されない理由』に入っていく。
『愛されない理由』と言っているが正しくは『愛に鈍感な理由』かもしれない。
なぜなら、どう考えてもあたしは一切愛されていない訳ではないからだ。
恋人がいないので家族友達に限定されてしまうが、あたしは十二分に愛されている。
母が言う『今日ご飯は?』もそうだし
『ちゃんと大学の授業受けよ』もそうだ。
ほっといてくれよと思うこともあったが、これは大きな愛なのかも、と気付いたときからそんなことは思わなくなった。寧ろ言われるのが嬉しくなったまである。
あとは友達が言ってくれる
『辛いことがあったら言ってね』
『また遊びにきてね』
他にもたくさんあるがこれらの言葉もあたしの大好きな言葉だ。
文字も打てないほど泣いてしまって、どうすればいいのか分からず急にかけた電話にすぐ出てくれる、とかもすごく大好き。
どう考えても愛されているあたし、何故満足できないのか。
これだけはどれだけ考えても全く分からない。
何故こんなにも寂しいのか、何故こんなにも愛情に飢えているのか。
ずっと考えているが本当に分からない。
多少問題はあるものの特別家庭環境が悪い訳でもない、今までの恋愛だって、いくつかのトラウマを抱えてはいるがそこまで酷いものではないと思っている。
なのに愛に気付けない。気付けてもどこか物足りなくてずっと寂しい。あたしの寂しさはどうすれば埋まるのか。
ずっとずっと心の奥底には『寂しい』という感情があって、誰と居てもどこに居ても何をしていても少し寂しい。
あたしはこの『少しの寂しさ』を埋めたい。
『少しの寂しさ』を埋めることさえできたなら、あたしは希死念慮に悩まされしんどい中でも人からの愛をたっくさん感じつつ生きていくことができる。
次は『少しの寂しさ』を埋める方法を考えて、答えが出るなり出ないなり、何かしらの進展があればまた書く。
ここまで読んでくれてありがとう。こんなに長いのに最後まで読んでくれる、これも大きな愛なのかもしれないね。本当にありがとう。
毎回急に終わってしまってごめん。本当に文が下手。